河野宗泰家活用事業|空き家活用事業
飫肥杉で栄えた油津の「商人の家」を、
もう一度、人が集まる場所へ。
そもそも「河野宗泰家」って?
日本三大運河「堀川運河」のほど近くに残る、旧河野宗泰家。河野家は、江戸時代後期から明治時代にかけて、飫肥杉(弁甲材)を扱う商人として栄えた家です。
現在残る建物は、江戸時代末までの建物をもとに、大正10年(1921年)頃に増築されたもの。油津のまちなかを東西に走る下町通りに建ち、「上京屋」の愛称でも親しまれてきました。
そして現在は、国の登録有形文化財として、かつて飫肥杉の積出港として栄えた油津の歴史を今に伝えています。

歴史ある建物を、「残す」だけではなく「ひとが集まる」場所へ。

油津には、河野宗泰家をはじめ、油津赤レンガ館や杉村金物本店など、このまちが歩んできた歴史を今に伝える建物や場所が数多く残されています。
こうした歴史ある建物を、ただ保存するだけではなく、大切に守りながら、今の時代にも人が訪れ、使われる場所として未来へつないでいきたい。
その一つとして、河野宗泰家を、観光客や地域の人たちが集い、交流し、ゆっくり過ごせる「まちなかハブ」として活用する構想があります。
主屋だけでなく庭園も、まち歩きの途中でひと休みしたり、飲食を楽しんだり、イベントに活用したりできる場所へ。建物を活用することで、そこに刻まれた油津の歴史や文化も、次の世代へつないでいきたいと考えています。
しかし、この構想は、まだ実現できていません。
資材価格の高騰や地震の影響などにより、まちづくり計画全体に必要な事業費が大きく増加。限られた予算の中で事業を進めるために計画の見直しが必要となり、河野宗泰家の整備については、当初の事業から切り離し、改めて実現の方法を検討することとなっています。
また、油津に残る歴史ある建物の活用についても、既存施設などを対象に、民間の力も借りながら、新たな活用の可能性を探っている段階です。

ただ、予算という壁があっても私たちは、このまちの歴史を未来へ残していくことを、諦めたくはありません。行政だけでなく、民間企業や地域の皆さんとも力を合わせながら、今できること、これからできることを一つずつ探していきたい。
そして、河野宗泰家をはじめとする歴史ある建物に新しい役割を生み出し、もう一度、人が集い、新たな賑わいが生まれる場所へ。
残すだけではなく、使い続ける。
油津が受け継いできた歴史を、次の100年へつないでいく。
そのための方法を模索しながら、
私たちはこれからも、このまちの未来に挑戦していきます。
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